2015年11月12日木曜日

東京の下町を望む

高さ350mから見下ろす、碁盤目のように整然と区画された墨田区・江東区の街並み。ここはこの40年間で見る風景が全く変わってしまったと思う。そこに住んでいればわからないかもしれない。


両区を南北に貫く四つ目通り。錦糸町駅から北に10分ほど歩いたところに母方の叔母の家があった。1978年に隅田川花火大会が復活したときには、この叔母の家から、錦糸町のとなりの両国駅前にある父方の叔父の家まで歩いていったものだ。祖母の実家でもあるこの叔父の家からは目の前にさえぎる建物はほとんどなく、花火の大輪が打ちあがり、東京の夏を、彩っていた。高層ビルが林立する現代では、花火を見ることはできるのだろうか。そして、両家ともいまはもうない。

この超高層ビルの立つエリアには精工舎というセイコーの工場があった。その先、錦糸町のJRガード脇にはロッテ会館があったが、今でもロッテのビルが建つ。ガードの先には複合商業ビルが建つが、昔は楽天地という繁華街があり、スキー用品店のニッピンも目立っていたと記憶している。

その先に見えるセントラルパークのような緑地帯は猿江恩賜公園。その先の東陽町に数年間、住んでいたが、一度も足を踏み入れたことはなかった。当時は24階建てで超高層マンションと呼ばれたが、今では50階前後のマンションが当たり前になったベイエリアがこの先に控えている。

終戦の年の東京大空襲で焼土となったエリアでもある。懐かしくも、どこか悲しい東京の街並みである。