2017年8月7日月曜日
狂ったキャンペーン「ミスキャンパスが語る理想のワクチン男子」
ワクチンなんて、射つも射たないも本人の自由。公衆衛生の向上に寄与するかどうかは不明。こんなくだらないキャンペーンに金をかける黒岩知事、神奈川県当局(決して県民ではない)の民度の低さに唖然。
神戸(西宮)のおばちゃん
写真とは全く関係がない話。(そば太鼓亭・西宮大島店、海老天おろしそばと鶏天)
私は千葉県の銚子市という港町の出身で、父方の祖父は東京日本橋馬喰町(ばくろちょう)出身だし(本人から馬喰町という地名がたびたび出ていたため)、祖母も墨田区(当時は本所区)両国(正確には亀沢町)の出身であり、母方も先祖はたしか新潟であり(いちども母方のルーツには行ったことがない)、関西とは基本的に縁もゆかりもない。
しかし、この西宮市というのはごくごくチョットだけ縁がある街である。それは、日本橋出身で明治生まれのこの祖父は10歳の時、銚子市の西隣の現在の東庄町(とうのしょうまち)今郡(いまごおり)にあった母親の実家に引き取られたのだ。その時に姓も今の私の姓に変わっている。
祖父は戦前から銚子市内である開業をしたのだが、私が小学生だった昭和46年(1971年)ごろ、40年ほど生き別れになっていた妹が、急に銚子のわが家を尋ねてきたのだ。その時に祖父は驚きもせず感激もなく、「なんだお前か」とだけ言ったということを、あとで父に聞かされた。祖父はあまり感情を表す人間ではなかったが、それにしても、というエピソードだ。
その妹は祖父が亡くなる1994年より前に亡くなったのだが、東京生まれの彼女が死ぬまで住んでいたのが西宮市なのである。しわくちゃで小柄な「神戸のおばちゃん」と今でもよく覚えている。ときどき、より正確に「西宮のおばちゃん」とも呼んでいたと記憶している。祖父の出生時の姓を名乗っているので、そのとき60を超えて独身だったが、祖父や私とは姓が異なっていた。
子供だった私と弟には、必ずお土産を買ってきてくれたが、生涯独身のまま過ごした生活は苦しかったに違いない。胸に機械が入ってるんだと言って指をさしたのは、不整脈治療の人工ペースメーカーだった。
「神戸のおばちゃん」という呼び名でわかる通り、西宮も神戸も東日本の田舎者にとっては区別がつかない、というか区別する必要がないのだ。それまで生の関西弁なんて聞いたこともなかったので、彼女の言葉は新鮮で遠い世界の言葉に聞こえた。もちろん、西日本に親戚は他に一人もおらず、関西弁を話すのは彼女だけだったのだ。東京で生まれた女性が長いこと関西にいて、すっかり関西人になってしまったのだろう。
彼女が生きた西宮の風景も今では大幅に変わっているだろうが、今日、その街で昼飯を食べた。ただそれだけのことなのだが、自分とほんの少しだけつながっている街だと認識した次第である。
私は千葉県の銚子市という港町の出身で、父方の祖父は東京日本橋馬喰町(ばくろちょう)出身だし(本人から馬喰町という地名がたびたび出ていたため)、祖母も墨田区(当時は本所区)両国(正確には亀沢町)の出身であり、母方も先祖はたしか新潟であり(いちども母方のルーツには行ったことがない)、関西とは基本的に縁もゆかりもない。
しかし、この西宮市というのはごくごくチョットだけ縁がある街である。それは、日本橋出身で明治生まれのこの祖父は10歳の時、銚子市の西隣の現在の東庄町(とうのしょうまち)今郡(いまごおり)にあった母親の実家に引き取られたのだ。その時に姓も今の私の姓に変わっている。
祖父は戦前から銚子市内である開業をしたのだが、私が小学生だった昭和46年(1971年)ごろ、40年ほど生き別れになっていた妹が、急に銚子のわが家を尋ねてきたのだ。その時に祖父は驚きもせず感激もなく、「なんだお前か」とだけ言ったということを、あとで父に聞かされた。祖父はあまり感情を表す人間ではなかったが、それにしても、というエピソードだ。
その妹は祖父が亡くなる1994年より前に亡くなったのだが、東京生まれの彼女が死ぬまで住んでいたのが西宮市なのである。しわくちゃで小柄な「神戸のおばちゃん」と今でもよく覚えている。ときどき、より正確に「西宮のおばちゃん」とも呼んでいたと記憶している。祖父の出生時の姓を名乗っているので、そのとき60を超えて独身だったが、祖父や私とは姓が異なっていた。
子供だった私と弟には、必ずお土産を買ってきてくれたが、生涯独身のまま過ごした生活は苦しかったに違いない。胸に機械が入ってるんだと言って指をさしたのは、不整脈治療の人工ペースメーカーだった。
「神戸のおばちゃん」という呼び名でわかる通り、西宮も神戸も東日本の田舎者にとっては区別がつかない、というか区別する必要がないのだ。それまで生の関西弁なんて聞いたこともなかったので、彼女の言葉は新鮮で遠い世界の言葉に聞こえた。もちろん、西日本に親戚は他に一人もおらず、関西弁を話すのは彼女だけだったのだ。東京で生まれた女性が長いこと関西にいて、すっかり関西人になってしまったのだろう。
彼女が生きた西宮の風景も今では大幅に変わっているだろうが、今日、その街で昼飯を食べた。ただそれだけのことなのだが、自分とほんの少しだけつながっている街だと認識した次第である。
登録:
投稿 (Atom)