今回のツーリングで、瀬戸大橋を初めて自分の運転で渡りました。いやなに、同じ橋梁を電車で渡ったことはあります。1989年、大学6年の時でした。東京に住む同級生のK君と二人で、岡山出身で学生番号が隣のM君の実家を訪ねた時のことです。
国家試験を控えた最終学年でしたが、最後だからと夏休みを利用してM君の実家にお邪魔したのです。3泊4日でしたが、最初は尾道方面のドライブ、次は、倉敷の児島に車を置いて、そこから電車で香川にわたり、金毘羅山を目指したのでした。
M君は「ボクは運転あんまり得意じゃないし、地理も得意だから運転頼むよ」と言われ、彼の実家の車を私が運転していました。
M君は卒業後、地元岡山の研修病院でローテート研修を終え、母校の麻酔科に入局、同時期に同じ病院で勤務したこともありました。
その当時、麻酔科医不足が深刻で、会うたびに「暇だったら麻酔かけに来てよ」なんて言われてたのですが、「病理、暇じゃねーぞ。それに、素人が全身麻酔かけられるわけねーだろ!」と返すと、「誰でも1日やればけっこうできるし、(気管)挿管も慣れれば簡単だし、君ならできるよ」と言われました。いま思えば笑い話ですけど。
そのM君が急逝してから早8年の月日が経ちました。お線香をあげに彼の実家を訪ねようと、お母様に電話で連絡したのですが、いろいろあって、いまだお線香を上げにいく願いは叶えられていません。
秋空に浮かぶいろいろな雲を眺めながら、彼との日々を思い出していました。
その当時、麻酔科医不足が深刻で、会うたびに「暇だったら麻酔かけに来てよ」なんて言われてたのですが、「病理、暇じゃねーぞ。それに、素人が全身麻酔かけられるわけねーだろ!」と返すと、「誰でも1日やればけっこうできるし、(気管)挿管も慣れれば簡単だし、君ならできるよ」と言われました。いま思えば笑い話ですけど。
そのM君が急逝してから早8年の月日が経ちました。お線香をあげに彼の実家を訪ねようと、お母様に電話で連絡したのですが、いろいろあって、いまだお線香を上げにいく願いは叶えられていません。
秋空に浮かぶいろいろな雲を眺めながら、彼との日々を思い出していました。