2015年8月23日日曜日

ツールバッグをハーレーに装着

せっかくハーレーに乗っているので、フロントにも荷物が積めるバッグが欲しかった。容量3リットルのものが少々高かったが、容量1リットルのが100円だけ安いだけだったので、大きくて不恰好になるリスクはあったが、3リットルのものを買ってみた。

 http://www.degner-online.com/shopdetail/000000000865/ct28/page1/recommend/

鍵はかからないので防犯性はないが、ツーリング中のちょっとした小物なら入れることができる。ツールバッグという名の通り、本来は工具を入れておくべきであろうが、デジカメやめがねケースなどを入れるのに使おうと思う。

2015年8月20日木曜日

新型アルトに試乗

軽自動車が好きだ。そして日本の道路には軽自動車が良く似合う。限られた空間と660ccという限られた排気量の中で、どれだけ商品としての魅力や性能を 高められるか、ということで二輪車にも通じるものがある。その意味では、ホンダと並び二輪車と四輪車の両方を作るスズキの動向は、常に気になるところであ る。

実家すぐ近くのスズキを扱うE商会。オーナーは中学の同級生、E君。ハスラーを見せていただいた後、勧められて新型アルトの試乗に銚子市街地を一周。簡単にインプレッションを。




まず、旧モデルの丸いスタイルから一新したスクエアなボディ。これには明らかに賛否両論があるだろう。従来、セダンタイプの軽自動車は女性を主 ターゲットにしていた。このフロントのデザインはどうみても男性的な「いかつい」もので、怒っているようにも感じる。ヘッドライトの形状は正円の上部が斜 めに欠けたもので、これだけで睨まれているように感じる。ヘッドライトの間にラジエーターグリルはないに等しく、下部に位置している。おそらく社内でも相 当の議論があっただろうが、実車を見るまではこのデザインはNGだと思っていた。しかし実際に所有するつもりで眺めてみると、逆にかわいげが感じられ、これもありだと感じてきた。私の場合、拒否反応はそれほど大きくなかったということだろうか。

リアデザインは、昔のホンダZを知っている立場からすると、そのパクリかと思うスタイルだ。フラットなガラスを枠が取り囲んでいるもの。そしてちょっと疑問なのは、バンパーに埋め込んだテールランプで、商用車っぽさを感じてしまう。なにより、ぶつかるところにテールランプを埋め込むのはいかがなものか。 テールランプが下に位置することで、「でこっぱち」顔に見え、昔の日産ローレル2ドア・ハードトップを思い出してしまう。

室内はハスラーと比べると、一見すると見えるところがすべてプラスチッキーに思えてしまう。15年前にダイハツ・ミラに乗っていたが、トヨタの子会社であるダイハツはシボ加工など内装のフィニッシュが非常に上手い。それに比べて他社の内装はチープなものだった。しかし、このアルトの内装は意外と上手くまとめら れている。白と黒の大胆なコントラストの使い方は非常に秀逸。メーター周りの白も高いセンスを感じる。スポーツカー好きとしてはタコメーターが独立するなどしてほしいが、軽自動車に単眼メーターはぴったり似合う。


ヴィッツなど、前席のちょうど真ん中にメーターが来る車もあるが、アルトではドライバーのまん前にメーターを位置させるのは正統である。これはドライバーのための車、という宣言しているようなもので、運転する喜びを感じさせるからだ。

メーターの色が青や緑に変化するが、緑のときがエコ運転ができているというサインだとのこと。エコにこだわるあまり、この色を見ることがストレスになるのはマズいが、こういう機能は悪くない。シートはファブリックだろうか、触れる部分はすべて優しく感じる。男性的な外装とは裏腹に、女性的優しさを 感じる内装には高い点を与えたい。

室内の広さは実際にも広いと思う。リッタークラスと見まがうほどだ。こうなるとリッタークラスを買う意義がほとんどないんじゃないか、と思ってしまう。所有欲を満たしてくれるポイントだろう。

肝心の走りであるが、これは満点を与えてよい。私は今、ワゴンRのマツダOEM車である、2004年型のAZワゴンに乗っているが、足代わりには 軽自動車で十分だと思っているし、長距離もこれでこなせると考えている。新型アルトはさらに現代的に進化させ、よりエコ性能をアップしたものと理解され る。それを代表するのがアイドリングストップ機構である。しかも、完全にストップする直前からエンジンが停止することに驚く。条件がそろえばエンジン停止 が速度12キロ以下でなされるという。ブレーキから足を離すとトルルッと低いスターター音で自然に再始動される。非常に賢い制御がなされているようだ。

ウインカーレバーを操作すると、ピッ、ピッとの音でも合図されるが、これは悪くないし、決して商用車的でもない。ありがたい装備だ。また、ハスラーほどでないにせよ、スクエアなデザインは狭い道でも車両感覚がしっかりつかめ、女性でも安心できるポイントだろう。

まとめると、外観には賛否両論が最後までつきまとうと思う。これに尽きる。願わくば、アルト・ワークス(すでにRSというスポーティーなグレードがあるようだが)のような走りのモデルにこのデザインを利用し、女性や高齢者をターゲットに入れる他のモデルには、もうちょっと攻撃的ではない(笑)デザインを取り入れて欲しいと思う。

ただ現状でも、他者と違う個性を求めるユーザーには、オススメできる新型アルトだろう。

2015年8月16日日曜日

尊敬する、ある医師について

 本日は、私に医師としてのあり方を教えてくれた、最も尊敬する医師についてお話しします。

 医学部の5年生の時、すでに私は病理医になろうと決めていましたので、おそらく残りの人生で臨床をやることはないだろうという考えから、臨床実習中に経験 できることは何でも積極的にやろう、臨床の現場でみられることはすべて見てやろうということで、外科を回った時には時間が許す限り、あらゆる手術に立ち会 いました。

 それが評価されたのか(そんなことは絶対にない)、本当は医師法違反でしょうが特別に私だけ、手首の動脈からの採血や、外科手術の簡単な縫合もさせてもらいました。外科の先生には「お前、手術に入り過ぎだよ!」と笑いながら言われました。

 附属A病院の外科実習では、当時は当直実習という正規のカリキュラムはなかったのですが、外科の医局長に無理を言って、一晩当直に入れていただき、夜中に3件も飛び込ん できた緊急の虫垂切除術に手洗いして第2助手として入り(第1助手的にやらされました)、襲いくる睡魔のなかで外科手術をおこなうことの大変さを経験しま した。

 当時、学生が積極的に当直させてくれと申し出るのはそれまでに無く、私と、学生番号が隣の同級生のケースが初めてで話題となり、後に続く実習斑がいたとい うことです。そのためか、外科の医局長が築地から生牡蠣をバケツいっぱい取り寄せてくれ、私たちに振舞ってくれました。生まれて初めて生牡蠣を食べたのが、このA病院外科医局だったのです。

 その先生との出会いは医学部5年生の臨床実習の当直の時です。私の大学は当時、初の本格的な救急部門を新たに開院した附属B病院に作り、私の学年からB病院での当直実習が始まりました。

 夜7時に高度意識障害を主訴に、救急部(ER)に60代女性が運ばれてきました。ポケベルで呼び出された私たちを迎え、丁寧に指導してくれたのが、当日の内科当直医で、当時30代前半、新進気鋭の神経内科医、N先生でした。

 このときのことは今でも昨日のように鮮明に覚えています。

 患者さんは深昏睡の状態で自発呼吸は弱く、左右の瞳孔がピンホールのように小さくなったままで(縮瞳)、重篤な脳幹出血が疑われました。すべてが初めて経験することで、おろおろしている私たち学生に、脳卒中急性期に手早くどう診察すべきか、病態の把握と治療の両立、現場でなにができるか等々、丁寧に教えてくださいました。

 バビンスキ反射など病的反射の出現や深部腱反射の亢進など、神経所見の取り方・みかた、気道を確保するための舌根沈下防止のためにあごを持ち上げるJaw-up等々、授業や教科書でしか知らない初期治療の実際を手ほどきしてくださいました。

 この病的反射が出ているのを確認しながら一瞬、漫画ゴルゴ13を思い出してしまいました。旧ソ連ではバビンスキ反射が出て拷問を止めているシーンを思い出したからです。ただちに、脳圧を下げるための薬が点滴で行われました。

 その直後、キザなアラフォー部長を筆頭とした脳神経外科医も大挙してERにやってきたのですが、

 「おらおら学生!もっと強くあごを挙げろ! 
  こ・う・す・る・ん・だ・よ!!」

と、私の手を痛いほど握ってえばり腐って指導するのです。すでに酒を飲んでいるかのような悪態ぶりでした。

 その後速やかに気管挿管され、皆でストレッチャーを放射線室に運んでCTを撮りました。 脳幹(橋)の中央に白く光る出血が確認され、その脳外科部長はこう言い放ちました。

 「あーやっぱり脳幹出血だ! ハイ、手術適応なし!
  脳外科の出番はありませーん。おーいみんな!飲みに行くぞ!」

 その場に私たち学生とN先生が取り残され、その後ICU管理となるまでの急性期を見守ったのです。私はN先生を通して、いま命のともしびが消えるかもしれない患者さんに真摯に向き合う、 あるべき臨床医の姿を見ることができました。

 私が医師となって7年目、ちょうど専門医を取得した直後にB病院に転勤となり、再びN先生と今度は医師同士としてお付き合いすることになりました。 仕事を通じての付き合いはもとより、病院のコンピューターシステムをどうするか一緒に検討したりと、いろいろお世話になりました。

 優れた臨床医として皆に尊敬され、常に謙虚な「学習者」としてのあり方を私に見せてくれたのもN先生です。

 なお、私がいた当時のK病院総合内科は、一般、神経、感染症、血液、循環器、消化器・肝臓、呼吸器、糖尿病・代謝内分泌、腎臓など、専門家の集合体でした が、外来においては初診から専門まで、教授から研修医まであらゆる疾患を全員が分担しておりました。病院開院当初から、N先生は 総合内科の立ち上げの中心メンバーとして活躍されました。(現在では専門分化し、総合診療部門がなんでも内科の役割をしているようですが)

 また、臨床医であっても技術があれば病理解剖ができる、ということを示してくれたのもN先生です。先生は「他部署の手をわずらわしたくない」ということで、なんと!病理検査室に何の連絡もないまま、夜中にお一人で開頭を含めた全身の解剖をされました。

 器具が綺麗に片づけられて清掃された解剖室をみて、「誰か夜中に解剖やった?」と確認したところ、先生がお一人で解剖をやった後だったとわかった時、病理スタッフ一同、言葉を失いました。先生は某国立大学の神経内科に国内留学された時、病理解剖を学んだとのことでした。

 ある日、最寄の駅から歩く道すがら、最近元気がないN先生に私の上司が、 「N君、最近顔色悪いけど、どうしたの?」と問いかけると、「最近、ぜんぜん疲れが抜けないんです」との答えが帰ってきたそうです。

 その後、先生の姿は病院から消え、内科にいた私の同級生から「おそらく職場復帰することができない病気」で附属病院本院に入院したという話を聞きました。 その真実を知った時に私はショックでしばらく仕事も手につかなくなるほどでした。レントゲンで見つけにくい、右の肺門に発生した小さな腺癌でした。

 闘病期間は5ヶ月。死因は肺がん(低分化型腺癌)・脳転移、享年45でした。

 私の同僚が先生の病理解剖を担当しました。誰からも慕われる先生の早すぎる死に、多くの同僚、職員が涙しました。お通夜は先生のお生まれになった東京下町にある斎場で行われ、大勢の列席者の後、一番最後のほうに焼香した私は初めてお会いする奥様にお悔やみの言葉をかけました。泣き疲れて憔悴しきった奥様は、ぜひ聞いて欲しいという感じでお話くださいました。入院して最期のほうで、毎日のように、

 「僕は神経の医者だから、脳に転移したがんだけは絶対に治してみせるから」

と、うわごとのように言っていたとうかがいました。

 もちろん、それは叶わないことだとわかりますし、脳転移が正常な神経伝達を阻害した結果と理解できますが、臨床医としての執念を思わせ、私はあふれる涙を抑えられませんでした。いまでもN先生のことを思い出すだけで涙が出ます。この文章を書くのも一苦労です。

 N先生は個人の医師会員ではありませんでしたが、医師会主催の勉強会で講師を何度もお務めになったこともあり、特別に地域の医療に貢献したということで、亡くなった後、地域の医師会から特別な賞を授与されたそうです。

 ずいぶん後に、肺がんと診断された最初の経気管支的肺生検(TBLB)で採取された組織を顕微鏡で観て、少数の癌細胞が出現しているのを確認しましたが、 現在に至るまで、解剖での先生の臓器プレパラートを検鏡していません。観たいという気持ちはありますが、先生の体の中を覗きみてよいほど、私は先生に追い ついていないと思ったからです。でもそのうち、先生の病理組織を拝見させていただこうと思っています。

  今なら非喫煙者の肺腺癌はイレッサやタルセバなど、分子標的治療薬である程度、生存期間を伸ばすことができるかもしれませんが、90年代はドセタキセルなど新規抗がん剤は出てきてはいましたが、有効な薬物治療はありませんでした。

 ほんとうに善い人は早死にするということが理解できました。密度の濃い人生を一気に駆け抜けるからでしょう。早世した方々は、残された人たちに与える影響 も大きく、死後ますます尊敬の念が高まります。私は早死にしたくないので、「憎まれっ子世にはばかる」を実践したいのですが、死んだ後に私を想って誰か泣 いてくれる人がいればよいと思っています。

 私はとうにN先生が亡くなった年齢を超えていますが、いったい毎日、何をやっているのでしょう。日々の仕事を片づけるのに精いっぱいで上昇志向もなく、ほんとうに恥ずかしくなります。

 世間では、自分本位で、まともに話ができなかったり、互いの接点を見出す努力のかけらも見えないという、相手の気持ちを考えられない、人間を相手にする医師としてあってはならない医師がいます。医師である前に人であることができない医師がたくさん存在するのです。そんな医師に対し、N先生の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいです。

 N先生、もう一度先生にお会いしたいです。

 この文章を天国のN先生に捧げます。

十津川から龍神へ 日帰りツーリング

 久しぶりに愛車ヤマハFZ1フェザーで自然の中へのソロ・ツーリングを敢行したのでレポートする。


一つ前の記事に書いたように、ホンダ・ゴールドウイングに執心中の筆者だが、やはり軽量なモーターサイクルの使い勝手をいま一度確認すべく、愛車ヤマハFZ1フェザーを駆って、今年初めてとなる十津川へのツーリングを敢行した。この日も気温は30℃以上が予想され、おまけに五條市で吉野川の花火大会があるため渋滞も予想され、ツーリングに出かけるには少々悪い日程であった。

 五條市大塔(おおとう)の道の駅、吉野路大塔で休憩した後、谷瀬の吊り橋をトンネルで素通りして道の駅十津川 郷へ。この間、そこそこのペースで走ったのだが、およそ50分。十津川村が村としては日本で一番面積が広いことを実感する。この先の酷!道425号線も合わせると、実に広大な自治体であることが分かる。

 上の写真は道の駅十津川郷でのショット。ゴールドウイングと異なり、ジャケットやヘルメットを収納するスペースがないので、ごらんのような有様だ。


 ここ十津川郷を訪れたのは去年に続き2回目なのだが、2回にそば処があるのを知らなかった。あまり食欲はなかったのだが、 ライディングはものすごくエネルギーを使うので、大盛のざるそばを注文してみた。

 麺には適度なコシがあり、食べ応えはある。ただ残念なのが、わさびを入れすぎてしまったこと。それで味もすっかり分からずに、辛さとの格闘になってしまったことを申し述べておきたい。


 道の駅・十津川郷で、国道425号線が通行止めになっているというパンフレットがあり、店員に確認してみたところ、今は解除となって通れるという。しかし平日には定期的に工事のために閉鎖することがあり、地元にはそのスケジュールが知らされているようだ。

 国道425号線は、上の写真のあたりは道幅が広いものの、多くの区間で対向車とすれ違うのが極めて困難だ。カーブミラーも少なく、昼間は夜と違ってヘッドライトで対向車の接近を確認することができないため、カーブの向こうが見通せないところでは、対向車が来ないのを願わざるを得ないのだ。これはもはや運だけの道なのである。

 そして通行止めにして工事をする理由が、ところどころ路肩が崩壊しており、普通車での走行はきわめて危険な箇所があるということだ。アスファルトの一部が10cmから30cmぐらい、谷側で崩れているのだ。

 なおかつ、ガードレールがなく危険な箇所が多い。しかも転落したら死は免れない箇所が多いのだ。途中、谷瀬の吊り橋ほどではないが、こんな吊り橋を見つけた。渡ろうと思ったら、木は腐食し、足をかけたとたんに橋がギシギシと音を立てて揺れる。命が惜しいので、数メートル行っただけで引き返してしまった。


 人里はなれた、というのはこういう場所のことを指すのだろう。見渡す限り、山山山。関西の山は標高こそ高くないが、突然遭遇する急峻な谷に驚く。写真はないが、和歌山県橋本市や五條市には、地元の人しか知らない渓谷が連なり、その深さに驚いてしまった。


 道の駅龍神。ここではレトルトカレー3種を買う。今回はリアシートに取り付けた小さなバッグしか収納スペースがないため、お土産はこれで勘弁を、というわけだ。まぁ、このバッグの容積、もうちょっと増やせるんだけど。


 最後に立ち寄ったのは、高野龍神スカイライン、護摩壇山にある道の駅ごまさんスカイタワーである。標高が1000mほどで、涼しい風が吹いている。ここは関西ライダーの聖地的場所であり、多くのライダーが集まっていた。


 ごまさんスカイタワーからは3時間弱の帰途。途中、国道371号線を橋本市まで走ったが、こちらも国道425号線ほどではないにせよ、酷道であった。先にも述べたように、山深い細道に渓谷のおりなす山岳美が素晴らしい。全国にあるであろう、国道なのに酷い道をめぐってみたくなった。

 一日FZ1フェザーに乗り、そこかしこに軽さのメリットを感じることができた。ちょっとした坂であれば、力を入れて取り回しができるが、ゴールドウイングではそうはいかない。またがった状態でリバースに入れなければならないからだ。

 また、ノーマルよりハンドルを2cm近く上げているが、これが絶妙な居住性の高さにつながっている。肩に力が入ることなく、3時間近く連続して走ったとしても、手がしびれるなどの不快な後遺症?に悩まされることはない。

☆本日の走行距離: 244.9km

 

2015年8月5日水曜日

ホンダ・ゴールドウイング GL1800 レポート

 このブログをご覧の方はご承知の通り、最近、筆者はCan-Am Spyder という普通免許で運転できる三輪車にもっぱら興味津々だった。しかし、ふと冷静になって考えてみると、人生の半ばをとうに超え、究極のモーターサイクルに乗らずして死ねるか、という命題に答えを出さなければならない時が来たように思われる。そう、もうそろそろ「終の棲家」ならぬ「終のバイク」を考えなくてはならないのだ。それは、究極の一台ということになる。

 究極のモーターサイクルと言えば、ホンダ・ゴールドウイング GL1800 をおいて他にない。おそらくそれは異論を待たないであろう。もちろん、速さの究極、手軽さの究極、価格の究極などというものもあるだろうから、ひとえに究極と言ってもひとつではない。

 では、ゴールドウイングは何の究極だろうか。私は思う、モーターサイクルでありモーターサイクルでない究極だ、と。このことは、この後、実際に運転してみて、真っ先に感じることになるのだが、乗り始めるまでの精神的なプレッシャーは半端なものではない。あの巨艦を相手に、身長165cmの私が太刀打ちできるのか、そればかりが気になる。たちゴケのことを考えると、恐怖心しか感じない。

 実は過去に一度だけ、横浜市旭区のホンダ・ドリームで、タンデム(2人乗り)で短い試乗させてもらったことがある。このときは、重さをそれほど感じなかったが、終始緊張しっぱなしだったので、ゴールドウイングを楽しめたという記憶がない。そこで、もうすこしゴールドウイングを知るべきと思い、最高気温が37度と予想される暑い8月1日、ゴールドウイングをレンタルするために、京都に向かった。善は急げ、チャンスを逃すと二度と来ないかも知れないので。



 ホンダ二輪車のディーラーであるホンダ・ドリーム京都東にて、この、ライダーの憧れであり、究極のモーターサイクルである、ゴールドウイングGL1800 をレンタルした。この店舗は全国チェーンのレンタルバイクショップを兼ねており、保険込みで4時間2万円強は「授業料」としては高いが、将来の具体的購入候補と考えると、ひと時でも乗って体験しておかなければならないの である。


 レンタルバイクは店内に置かれていた。威風堂々とした外観は、見るものを圧倒する。二輪車に興味のない人から見れば、「なんだあれは?となるかもしれない。今回、4時間ほどをゴールドウイングを過ごすことができたので、インプレッションもかねてレポートする。


 まず、必要事項を用紙に記入し、料金を保険料とともにカード払いとした。その後、試乗開始前に店員から基本的な操作法のレクチャーを、クーラーの効いた店内で受けた。 トップケースとサイドケースの開け方、閉め方は、リアランプ上の3つのレバーを引くことで可能となる。特に問題ないのだが、ゴールドウイングの後方は、ややゴチャゴチャしている印象を受け、レバーの位置を間違いやすく、テールランプの下をいじってしまうことがあった。このマシンの表面積は広いのである。


 この日の京都の最高気温は37度。灼熱の市街地にむけてゴールドウイングで滑り出した。・・・と、こう書くと格好いいのだが、実は相当にビビッていた。少しだけ段差のある歩道から目の前に出ることが、なんとも勇気のいることか。クラッチのタイミングは分かったが、アクセルをどれだけ開けてクラッチをつなげばよいのか、その加減が分からないのだ。店員2人に見送られ、何とか最初の「儀式」はクリアできた。

 そして店の前にある信号を右折する。こういった何気ない動作に怖気づいてしまうのだが、ひとつひとつクリアできると自信につながる。そうだ、自分より小柄な高齢者(失礼)も乗っているではないか。乗りこなすには程遠いにせよ、とにかく「乗れる」自信を持ちたいものだ。京都市山科区、国道1号に右折して大津方面に向かう。その頃にはすでにゴールドウイングの虜になっている自分に気がつく。


 走り出したとたんに気づいたのだが、この極めて上質なエンジンはいったい何?という印象を持つ。二輪車のエンジンとは思えないほど、そのサウンドやアクセルワークへの追従性が「豊か」なのだ。つまり、有り余るエネルギーが豊富にあり、それを初めて操るライダーが程よく調教できるエンジン、と言ったらよいだろうか、要は完成された極上のエンジンなのだ。

 この水平対向6気筒エンジンは、まさにシルキーと呼ぶべきすべるような、一切の抵抗を感じさせない滑らかな回転を示す。そのサウンドも上質。そして、空気ばねかと錯覚するほど乗り心地は快適だ。いずれも下手 な四輪車より美しい世界がそこにある。それにしても、オーディオ(今回はFM放送)を聞きながらバイクを運転するのは初めてだったし、オートクルーズ付き のバイクに乗るのも初めて。これはもはやオートバイではなく「高級な何か」なのだ。

 このあたりはライバルと目されるBMW K1600GTLに乗って比較してみたいものだ。なにせあちらはBMW。元祖シルキー6であり、ぜひとも比較してみたい。


走行中の印象を少し述べることにする。まず、大型のシールドとフェアリングのおかげで、体に風はほとんどあたらない。灼熱の中でも、走れば不思議なことに結構涼しく感じる。エンジンの廃熱も下半身を襲わない。だからクーラーのないクルマ、とも呼べる。しかし、乗る人の心を豊かにしてくれる性能は、こちらのほうが何枚も上手であろう。



 琵琶湖の西、対面通行の高速道路といった国道161号を高島市に向けて北上する。ここはカーブの少ない、ときどき琵琶湖が眼に飛び込むゴキゲンな快走路だ。途中、渋滞に遭遇するが、さて困った。こんな巨体ですりぬけができるのか?という最大?の問題がある。危険なすり抜けはしないに越したことがないし、ましてレンタルバイクだ。万が一のことがあったら、金銭的なことはもとより、精神的にもダメージを追ってしまう。しかし目前の渋滞は解消しそうにない。そこで思い切って、他の二輪車に続いてすり抜けをしてみた。これがなんと、あまり苦もなくできるのである。全幅は94cmと、たとえばZX-14とかに両サイドのパニア・ケースを付けた場合よりも狭いのである。最初から取り外し不可能なサイドケースが装備されているゴールドウイングでは、オプションでパニアを取り付けた場合よりも狭いのだ。

 また、低速の安定度たるや鬼のようだ。歩くようなスピードでも慣れればドンッ!と構えていられる。案外と一本橋は得意なのかもしれない。などと考えているうちに、だいぶ慣れてきた自分に気がつく。


 走行性能に関しては、もはや文句のつけようがない。今回はワインディングでの試乗ができなかったので、そのインプレッションは他に譲るが、いざというときに必要なパワーは必要なだけ引き出せるといった印象が強い。そのため、スーパースポーツとのマス・ツーリングでも、後れをとることなくペースについていくことが出来ると思う。なにせ、乗車姿勢が楽なのがありがたい。今回の4時間のレンタル中、体のどこかが痛くなる経験は皆無であったことを強調したい。

 さて、ゴールドウイングGL1800を語る上で欠かせないのが、高い利便性である。そのなかでも標準装備されたトランクは、タンデムでの1週間に及ぶツーリングに十分な積載性を与えてくれそうだ。フルフェイスヘルメットが2個収納できるトップケースと左右のサイドケース。いずれもダンパーを装備して、クルマのトランクのように優しく開閉する。米国製だったGL1800では、これらのケース内には絨毯が敷かれていたが、ビッグマイナーチェンジを受けて熊本工場製になった現行モデルでは装備されない。この点がやや残念である。

 ETC本体は左サイドケースに収納される。なお、イグニッション・キーとトランクのキーは連動していないようで、キーのリモコン動作でロックされるようだ。とにかく、このトランク、使い勝手は非常に良い。


 今回はハンドルポストやフェアリングに装備されたすべてのスイッチを使うことはできなかったが、オーディオと並んで特筆すべき機能がオートクルーズである。所有する四輪車にも装備されており、一度その便利さを知ってしまうと、手放せなくなる。それが二輪に装備されているとは、いったいどういうものなのだろう。ヤマハFJR1300Aにも装備されており、FJRに乗る知人が「いやー、これが一番便利な装備」と太鼓判を押していたが、実際の使用感はどうなのか、とても気になっていた。

 レンタルに当たっては、 オートクルーズの説明まで受けていない。停車したときにスイッチ類をじっくり観察しなかったので、走行中に眼に入ってくるスイッチの文字が手がかりだ。右手にオートクルーズのスイッチを3つ発見する(下写真)。うち押しボタンはこの機能のON/OFFスイッチらしい。まず、これをONにする。そしてSETとかかれたボタンを押すと、一瞬のタイムラグの後にぐっと体が後方にのけぞる感じと同時に、その速度が維持される。

 慣れれば問題がないが、オートクルーズをセットした瞬間の不快感がある。これはいただけない。ただし、設定速度のアップやダウンは難なくできたし、この機能自体に問題はなく便利だ。セット時の不快感も、そういうものだと知っていれば問題にならないだろう。ただし、最後までキャンセルスイッチを見つけることはできなかった。ブレーキ操作でキャンセルになるのは知っているから、これも特段の問題ではないのだが、気になるところ。操作系はできるだけ単純なほうが良いという二輪車のセオリーに従い、余計なスイッチをつけることでライダーの混乱を避けるという、いわば親心なのであろうか。


 ゴールドウイングにマイナスポイントを見つけるのは難しい。もちろん、重さ - はマイナスだが、それが安定性につながるのであれば、必ずしもマイナスではない。しかし、高級なソファを思わせる安楽なシートには不安要素がある。それは、走行中はシートの後方にどっかりと尻を据えて座っていれば良いのだが、信号待ちなど足を付くときには前方に腰をずらさなければ、地に足が届かないのだ。長身であっても、シート両脇のクッションが邪魔になり、足つき性をスポイルしていると思う。これもゴールドウイングならではの作法と考えられなくもないが、停車をあらかじめ意識していないとあわてることになるだろう。


 まだまだ書きたいことはたくさんあるのだが、第一回はこれぐらいにしておきたいと思う。足りないところは、次回のレンタル時にあわせて報告してみたい。まとめると、ゴールドウイングは「買い」であるということ。それも体力のあるうちに所有しておくべきなのではないか、と個人的に思ったりしたということである。

2016.11.1 動画を追加しておく


2015年7月23日木曜日

私にとっての脳死

 2010年6月17日のことです。当時の私は某巨大医療グループに在籍していましたが、米子市のホテルで開かれる、鳥取大学医学生向けの初期臨床研修説明会に参加するため、羽田発の飛行機で出雲空港に降り立ちました。最寄りの米子空港ではなく、隣の出雲空港だったわけですが、島根県を訪れたのはこの時が初めてで、私はある記憶が呼び覚まされることになります。出雲空港を降り立ったこの景色。きっと彼女も目にしたであろう、この景色。。。

 彼女とは誰か、それを話すと長くなります。

 もう20年も前のことになります。ちょうど私が大学病院に勤務して、夏に専門医の試験を受験するという年の春でした。当時、病院食堂などで見かけたとき、私はただ指をくわえてみているだけの、色白で美しく、かつ可愛く清楚な印象の、そして誰からも慕われているという若い看護師さんがいました。これまでの人生でであった女性の中でも「かわいい」という点では、おそらく彼女の右に出るものはいないでしょう。

 名札からは名前が、そして整形外科病棟に勤務しているということはわかりましたが、それ以上の個人情報はわかりませんでした。同僚の男性技師たちも、彼女の虜になっていました。「あの子絶対、性格も最高だよ」と決め付けるほどでした。

 どうしても彼女と話すきっかけが作りたいと思っていましたが、まさか廊下ですれちがったとき「ボ、ぼくとご飯食べに行きませんか?」とイキナリ見知らぬ男から声をかけられたら変質者に思われますし、まぁ、そのうち話すチャンスがあるだろう思っていました。

 最寄の駅で当直明けの彼女とすれ違ったとき、腰まであるロングヘアーであることに気がつきました。ナースキャップ姿しかみたことがありませんでしたから、勝手に髪の毛は短いだろうと思っていたのです。

 そんな折、珍しく整形外科から腫瘍か何かの手術検体が提出され、診断が難しいためにレントゲンを参照する必要がありました。骨の病変は必ずレントゲンと組織とあわせて診断することをモットーにしていたのです。そこで、午後5時を回ったとき、病棟を訪れると、彼女と先輩の看護師の二人が当直看護師としていました。

 私は、「す、すいません。○○様のカルテとレントゲンを見たいのですが・・・」と申し出るとこころよく、「どうぞどうぞ」と答えてくれました。レントゲンを見ても埒が明かず、主治医と直接話したいと思ったので、「あのー、整形外科の先生はいらっしゃいますか?」と訊いてみると、「誰先生がよろしいですか?」と返されたので、「えーと、○○先生がベストですね」と、一番気さくな整形外科医の名前を挙げると彼女は、「○○先生がベストですね、わかりました!」と、ベストという言葉を繰り返してくれ、電話で連絡を取ってくれたのです。

 結局、その先生は早退されたということでしたが、彼女のユーモアを感じる応対に心を打たれました。でも、恥を忍んでも「ぼくと食事に行きませんか?」と変質者扱いされても言っておけばよかったと、その後ひどく後悔することになるとは、このときはまったく思いませんでした。

 ある日、病理検査室でいつものように細胞診をチェックしていると、脳脊髄液が出てきました。臨床診断は「脳炎うたがい」。そして患者氏名をみると、そこには彼女の名前があったのです。ビックリして担当医に連絡をすると、もう入院して1週間だというのです。

 さっそく病棟に行き、CT写真を見せてもらいましたが、CTに写るような影はありません。脳も腫れていませんし、主治医チームも手をこまねいているようでした。最悪なことに、そのときすでに彼女の意識は永遠のかなたに行っていたのです。

 彼女は当初、頭痛を訴えて夕方の時間外の内科外来に、特別に神経内科専門医に診てもらうためにかかったのですが、まだ20代前半の元気な女性が目の前でろれつが回らなくなっているという異常事態にもかかわらず、この診察した神経内科医、結局CTは撮影されずに風邪だと判断して薬を処方しただけで、看護師寮に帰宅させてしまいました。

 このときの判断に関して後日、内科の中でも議論があったようですが、やはりCTをとった上、神経学的に精査をすべきだったとの意見が出されたようです。もっとも、CTに異常はなく、結局は寮に帰されたかもしれませんが。

 翌朝9時、これまで無断欠勤など皆無で婦長や主任などの上司からの人望も厚い彼女が病院に出てきません。絶対に何かある!と確信した病棟師長(当時は婦長と呼ばれていました)が総務課職員、寮監と一緒に合鍵で彼女の部屋を開けると、床の上に泡を吹いて白目を向いた彼女がよこたわっっていました。

 その後の詳しい経過はわかりません。発見時に心停止があったのか、救命措置はどのように行われたのか、など、詳しいことは関係者からは聞けませんでした。あまりの出来事に私が訊けなかったのです。脳脊髄液の検査で一切の感染症は証明されず、意識は戻らず、人工呼吸器で従属的に心臓が動かされている状態となりました。これが脳死の状態です。

 2ヵ月後に病理・細胞診検査に提出された脳脊髄液には、ふだん絶対にみることのない神経細胞(ニューロン)が出現していました。つまり、脳が溶けていたのです。これが病理学的な脳死です。

 その時点でCTスキャンを撮影しても、まだ脳は影も形もありませんでした。 当時、脳死というのはイコール、ヒトの死なんだ、とか言って、脳が機能停止したら人間終わり、だから脳死になったら移植だ移植、おれもドナーになってやる!・・・みたいに思っていたのですが、まさか大好き、いや大ファンの彼女がいままさにその脳死の状態にあるのです。でも、私の心は再び彼女が目を開けてくれることを最大限に期待していました。

 医学的に脳死を理解できていても、私の心は目の前の現実を受け入れることができないような状態でした。

 さらに2ヶ月が経過し、夏がやってきました。来る日も来る日も人工呼吸器で肺を動かして酸素を取り込み、心臓が動いている状態です。感染症の兆候がすべて否定されて以降、ステロイドだけは投与されていました。そして、若さだけが、脳死という期間を長引かせ、心臓が鼓動を止めることを引き伸ばしていました。

 来客用もかねる病院食堂に見慣れぬ患者家族と思われる初老の男性がほぼ毎日、食べにきていました。よくみると、どことなく彼女の面影があります。お父様でした。山陰地方、島根県の、とある田舎町から単身、毎日病院に通うために東京に出てきたというのです。彼女自身が、地方の看護学校を卒業し、大学病院で高度な医療を学びたいという想いから、東京に出てきたと聞きました。

 治療になすすべなく、皆がっくりして内科の医局に集まっていたとき、ちょっぴり毒舌な先生はこう言い放ちます。「ほかに死んだほうがいいやついくらでもいるのに、なぜ彼女がこんな目にあうんだ!」

 発症してから約3ヶ月、私は夏休み中でしたが、7月のある日、とうとう彼女の心臓は鼓動を止めました。

 「頭だけを解剖してよいとお父様から許可が下りた」とのことで、私の先輩と、ベテラン男性技師が彼女の頭蓋骨を開けました。当初、よく知っている看護師さんだけに、その技師は「ボクは解剖に入りたくありません」と断ったらしいのですが、先輩は「脳死の現実から目を背けちゃダメだ」と諭し、彼を第二助手として解剖に着かせたというのです。

 結局、頭蓋骨の中には脳組織はほとんどなく、すべて指と指の間からこぼれ落ちるお粥状の内容だけだったそうです。ご遺体は仲間の看護師たちの手によって死に化粧がなされ、棺に納められていったそうです。この解剖の第一助手をつとめた別のベテラン技師は解剖の名手ですが、「あれほど髪の毛が豊富で長いご遺体の頭を開けたことがなく、苦労した」と言っていました。

 かろうじて脳下垂体周辺に固体があり、それを顕微鏡でみましたが、白血球(そのひとつ組織球)による脳組織の貪食(どんしょく、壊死した細胞を食べること)を認めたのみでした。 神経細胞やグリア細胞といった中枢神経を構成する細胞ははまったく見つけることができませんでした。

 解剖の後、その日のうちに彼女のなきがらは羽田空港から出雲空港に向けて飛び立ちましたが、その空港までは1日2本しか便がないということで、棺の到着を待つため30分離陸を遅らせてくれたそうです(と、後に聞かされました)。

 このときのことを当時一緒に働いた別の技師に話すと、「亡くなった人のことを考えるのはやめようよ」と言われるのですが、脳裏にこびりついて絶対に忘れられないのです。いくら年月がたっても、昨日の出来事のように、彼女の脳死そして死 が蘇ってくるのです。

 名前はもちろん、彼女の顔もよく覚えています。この出来事が、私にとっての脳死を考える上での原点です。


 月日は流れ、2013年の5月ゴールデンウィーク、私は彼女の故郷である、島根県の山間部にある某町をオートバイで訪れることになりました。当時カルテに記載された、彼女の本籍地を覚えていたのです。そこはその町の中心地区ですが、ものの数分も歩けば町を横切ることができるほど小さな市街地です。おそらく彼女も歩いたであろう街の目抜き通りをオートバイで走ってみました。駅前に停め、中心市街地を歩いてみました。彼女も目にしたであろう光景をこの目で見ることができましたが、同時に、遠い過去の楽しくも悲しい出来事が思い出されました。

2015年7月20日月曜日

カナダBRP社 Can-Am Spyder RT ユーティリティー等


先週土曜日のF3に続き、トライク在庫数では日本一を誇る京都のショップ「サッシュ」にて、Spyder RT Limited の試乗をしたのでお伝えします。走行インプレッションは二つ前の記事にアップしますので、ここでは使い勝手を中心に書こうと思います。

結論から言えば、F3とあわせて、Spyderは「買い」だということです。駐車スペースから家人の理解、金銭的なことなど、所有できる幸運な人は限られているかもしれませんが、なにより二輪免許を持たず、普通免許しか持っていない多くの人々に、広くオープンエア・モータリングとモーターサイクルの楽しさを知って欲しいと願うからでもあります。また、下手なスポーツカーより断然、楽しいことは、ちょっとだけ試乗しただけの私ですが、これは保証します。

事実、私も欲しいです。しかし大型バイクを現在2台所有しているので、すぐに買い換えるわけにいきませんし、買い足すわけにいきません。ですが、今後、他の二輪車に乗り換えるというのも、Spyderを知った現在では考えられないのです。今すぐにでもガレージを空にして買いたいのですが、もうしばらく二輪ライフを楽しんでからにするとします。

さて、今回試乗したのは最上級モデルのRT Limited。300万円近いプライスですが、なんとカナダ本国より低い価格に設定しているといいます。それだけ、日本法人が日本国内で普及しようという本気度の表れでしょう。


試乗車として用意されたメタリックのオレンジは、高貴な印象をかもし出しています。フロントのデザインは、爬虫類や昆虫などの顔を思わせますが、自動車のデザインにおいてヘッドライトを目として動物を思わせるということは、人間の認知能力とも関連し、事故防止に役立つという説もあることから、これはこれで文句はありません。下のライトがロービームで、スクリーン直下にある上のライトはハイビームです。この部分で唯一注文を付けるとすれば、下の部分に上の部分を載せたような、ちょっと一体感にかけるデザインがもう少し詰められなかったのか、と思うことでしょう。


一方、リアスタイルのまとまりは秀逸です。同じように荷室の大容量を誇る二輪車、ホンダ・ゴールドウイングのデザインは、トップケースとサイドケースの一体感がなく、テールランプも上下の2箇所に位置しており、こちらRTのデザインが優れているのが良く理解できます。生産中止になったBMW K1200LTのヌメヌメっとした感じもどこか、雰囲気が似てなくもないです。

左右のトランクにはヘルメットが収納できるようで、これは重要なことだと思います。旅先でヘルメット置き場に困ることがしばしばありますから。それでも荷物が入っていると、それも無理になりますね。どこか外部にヘルメットをくくりつけておくハーネスが装備できれば良いのですが。


ふだん二輪車のリアシートにくくりつけているシートバッグをフロント・トランクに入れたところです。深さが十分あり、まだまだ余裕があります。ポケットには車検証はじめ細かなアイテムを入れられるでしょう。

このフロント・トランク。なんだかポルシェなど、リアエンジンやミッドシップエンジンのフロント・トランクを連想させます。この程度の容積を確保するのも、通常の二輪車では難しいでしょう。

実はこの総合155リットルという積載容積は、ゴールドウイングやハーレー・ウルトラよりも小さいのです。それでも、2人で3泊4日程度のツーリングであれば難なくこなせると思います。また、現時点で日本未導入ですが、牽引する専用トレーラーがあれば、1週間のツーリングでも余裕でこなせるでしょう。こちらの導入も期待したいです。


メーターは2眼式で、中央に液晶パネルのマルチファンクションモニター(という名称かどうか知りませんが)が位置しています。このモニターの見易さといえば、これ以上ないほどの視認性を誇っています。中央に大きくスピードが表示されるほか、回転数とシフトチェンジ可能は回転数の範囲が示されるほか、ギアポジションなど各種情報がここで確認できます。

カウル左右にある燃料計と水温計は、透明カバーがレンズのように球面をなしているのもユニークなポイントです。

ハンドル下に並ぶスイッチですが、一番左は電動サイドブレーキのスイッチです。停止してエンジンを切るとアラームがなるのですが、サイドブレーキをかければアラームは消えます。他にグリップ・ヒーターのスイッチも位置しています。



シート形状はこんな感じです。長時間の試乗ではありませんので、すわり心地などのレポートはできませんが、少なくとも二輪車のシートよりずっと高く、身長180cmのライダーでも地に足を着けることは難しいかもしれません。あくまでステップボードに乗る、という感覚です。トラックの運転席に乗るときにステップに足をかけますが、その感覚に似ていると思います。

ピリオンライダーズシート(後席)は両サイドにスピーカーがあり、お知りの部分を囲むようにシート周辺が競りあがっているのが特徴です。左右に激しいライディングでも、後席ライダーがすべることはないでしょう。

試乗は炎天下のもと行われましたが、驚くべきことに、エンジンの熱がライダーに当たらないのです。廃熱はすべて前方に向かっておこなわれるといいます。大排気量モーターサイクルでは熱が快適性をスポイルしますが、このマシンではそういうことはなさそうです。ライダーの足の前方にはカウルがあるので、冬の冷たい風も直接当たらなさそうです。このあたりの真の快適性については、ユーザーだけが知る得ることかもしれません。

最後に。20年ほど前にスイスに行ったことがあります。その当時、土曜日と日曜日には、どこから出てきたのか不思議なほどのモーターサイクルが出現し、中でも日本では見慣れないトライクが多数出没し、イタリアやドイツとの国境を越えた高速道路の旅を楽しんでいたように見受けられました。トライクの普及が、週末を趣味の時間に当てているヨーロッパの人々がうらやましく思えたものです。高齢化社会を迎えた日本においても、二輪車へのあこがれは特に男性にあると思われ、トライクの需要はますます高まると予想されます。本モデルが、その先駆的な役割を果たすと予想できました。